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大学生協 東北ブロック

復興再生通信 Vol.9

震災復興再生タスクの振り返りと今後の課題

東日本大震災復興再生タスク代表 板垣乙未生(東北大学名誉教授)

その1:理事長としての覚悟(「東北地区大学生協職員の手記」から抜粋)
  1. 大震災は、東北事業連合理事長就任5年目をほぼ終えて近じかの退任を考え始めていた私の心構えを大きく変えた。甚大な被害の状況を知った時、私は復旧と復興に余生を捧げたいと切に思った。そして、 50年近くを過ごしてきた故郷ともいえる被災地の回復のために、できることは何でもやろうと覚悟した。かように大震災の衝撃は激甚であった。事業連合理事長としての私の活動は、市内での通電が再開して各所との連絡が可能となった3月14日から開始された。復旧・復興に尽力している生協職員を激励して元気づけること、対策本部や職員集会などで適切な意見を述べて一体感を高めること、全国的な支援や協力に対して感謝すること、などが非常勤職員としての理事長の役割であると考え、このため、できることは何でもやろうという決意のもとでの活動開始であった。
  2. 大学生協連の学生ボランティア活動への対応の一部は次の文章にしたためている(宮城県生協連発行「コープカレンダー2011年7月号」)。「七ヶ浜、東松島で行われた4月18日-5月8日間の5ターム(1ターム:4泊5日)の全国大学生協連震災ボランティア活動には、全国42大学から200名を越える多数の学生が参加されました。各タームの挨拶において、被災地としての感謝の気持ちと大学生協の役員としての激励の意を参加者にお伝えする機会を得た私は幸せ者です。第1ターム挨拶では、ボランティアセンター宿泊所の天龍閣に隣接する瑞鳳寺の「鹿児島県人7士の墓」の由来を述べ、西南の役の捕囚として宮城県集治所に収監されたこれらの武士が野蒜、雄勝などの沿岸部の開拓に貢献したこと、これらの地域が今回の津波によって大被害にあったこと、などを話ました。第2ターム挨拶では、七ヶ浜の菖蒲田に開設されていた「東北大学海の家」を利用した私の青春時代の楽しい思い出話をし、七ヶ浜の復興をお手伝いするボランティア学生に感謝の気持ちをお伝えしました。第3ターム挨拶では、明治29年6月の明治三陸大地震から3ヶ月後に東北学院に赴任した島崎藤村が、逗留先の名掛丁三浦屋旅館において、早朝、荒浜の波音を聞きながら「若菜集」の作詩を行ったこと、今回の津波によって壊滅的被害にあった荒浜地域では明治29年の津波被害は軽微であり、仙台平野を襲った今回の津波が特異であること、などを話ました。第4ターム挨拶では、「大漁唄い込み(斉太郎節)」の由来を紹介し、被災現地の方々がこの祝い歌を心から楽しめるときが早く来ることを祈念いたしました。最後の第5ターム挨拶では、東北大学広報誌「まなびの杜」(2001年6月)に掲載された東北大理学研究科箕浦幸治先生の「津波災害は繰り返す」を紹介し、仙台湾沖で巨大な津波が発生する可能性を懸念する研究が1990年頃から東北大学で開始されていること、地震学への関心を学生の間で広めて頂きたいという私の思い、などを述べました。
  3. 例年より1ヶ月前後遅れて開催された被災地会員生協の総代会に出席したことによって、震災復旧・復興活動の現況を肌で感じ、また、連帯の強化と激励の意を直接的に表明する機会を得たことは良かった。9月には津波被害が甚大な仙台沿岸域一体を徒歩で視察した。陥没、塩害化した広大な耕地域の中の極一点の畑地にレタスが生育していることに感動した。後日、このレタスの買い上げ、使用の可能性について事業連合職員に検討を依頼したが、農地耕作者の所在がつかめなかった。農業従事者の多くは、現地から離れた仮設住宅に居住しているのだ。現地での生産活動が本格化した折には、地産地消を通じて現地の復興支援に資して行きたいと、私は強く思っている。2012年以降多数回にわたり企画された被災地訪問にこの経験が生かされたものと自己評価している。
  4. 震災後2年近くとなる今、一部を除いて被災大学生協の事業経営は安定化しており、被災学生の支援や地域支援などが引き続いての課題とされよう。一方、津波被災地の復旧・復興は緒についた段階にあり、また、福島の原発事故被災地の復旧・復興の目処は未だに立たない。よって、私の覚悟の重点は、被災地県民として、また、日本国民として、津波被災地や原発事故被災地に置かれよう。この覚悟は長期にわたることが必定である。

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その2:未来の大学生応援募金
  1. 津波による壊滅的被害を被った岩手県立高田高校の教員の知人である岩手大学生協教員理事を通して、高田高校に辞書・参考書等を寄贈するキャンペーンの依頼があり、東北ブロック事務局が全国の大学生協に協力を呼びかけた。これに応えて、京滋奈良、東海ブロックなどから迅速な取り組みがあり、2011年 5月上旬に2000冊近い教材が高田高校に届けられた。2012年2月、これらの協力者と共に高田高校を訪問し、寄贈教材の活用状況や今後の要望事項について懇談した。懇談直後に高田高校小野寺副校長から送付された次のメールは私たち訪問者に希望を与えた。「皆様が帰られた後、頂いた「ニュース」を眺めて驚きました。なんと、「本校に辞書・参考書を送る」運動の呼びかけが第10号まで連続して書かれているではないか、しかも早期から、かなりの紙面を割き、と。「岩手大学経由で本校職員が軽トラックで運んできた」程度の理解で、皆様がこんなにメッセージを発しているとは思ってもいませんでした。席上では、若い学生の「何か必要なものは有りませんか?」と言う質問に、普段からちょっと感じている教育観(?)を述べてしまいました。あれも今だから言えることです。3月、4月はどうやって再開しようと考えておりました。辞書・参考書の寄贈が本当に有難かったことは言うまでもありません。あらためてお礼申し上げます。」「物が有り余っていると学生が創意工夫をしなくなる」という小野寺副校長の教育観(?)は私たちに戸惑いを与えた。一方、当初、物品の寄贈を構想していた私たちの計画の変更をもたらした。現地の事情に応じて自由に使用できる募金に私たちの活動を定めた。こうして、未来の大学生応援募金(第1次)が2012年の夏に開始された。
  2. 2013年12月末までに募金額は1000万円余りに達し、被災3県沿岸の高校43校を主に対象として1校当たり25万円の拠金をさせて頂いた。私は、このうちの16校の校長先生にお会いして、学校の教育状況や生徒さんの生活状況を知る機会を得た。タスクが行ったアンケートでは、義捐金が有用であったとの回答が、感謝の言葉を添えて多数寄せられていた。応援募金が被災地・被災者と繋がるということが実感された。
  3. 2015年9月、第2次応援募金による義捐金(1校当たり10万円)を30校にお贈りした。震災発生 5年を迎えた時点においても、本来の学校生活に戻れていない被災3県の公立小中高、特別支援学校は1 21校にあがっている。こうした「学びの場-遅れる復興」の中、2016年2月、私たちは福島県立ふたば未来学園高校を訪問し、義捐金35万円と福島大生協から提供頂いた電子辞書30台を贈呈した。当校は、福島県双葉郡の教育振興のため、郡内のサテライト校5校の募集を停止し、各校の伝統を継承しながら先進的な学びを実践する学校として2015年4月に双葉郡広野町に開校された。当校の丹野校長のメッセージ「生徒たち、それぞれが困難を乗り越え、新しい一歩を踏み出している。まさに変わろうとしている生徒の姿こそ希望であり、この国の未来です。」が非常に感動的であった。当校への拠金は第2次応援募金の期末のものであったが、これまでの被災3県への取り組みに比べて遅れていた原発被災地への支援として有効に使用できたと実感できるものであった。
  4. 大学生協東北ブロックでは、店舗募金、食堂の支援メニュー、各種バザー、震災ツアー参加費からの寄金など、応援募金の多様な取り組みが行われた。全国の大学生協からも多額な拠金が寄せられたことも特筆される。多大なご協力を頂いた立命館生協の取り組みについては、酒井克彦専務が東北復興・再生通信vol.4に報告しておられる。また義捐金贈呈に訪れた被災高校の教員との懇談を通じて、大学生協との繋がりができたことも特筆される。2014年の第32回東北事業連合通常総会において、石巻西高の齋藤幸男校長に講演を頂いており、これは、東北事業連合としては極めて稀なことであろう。

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その3:被災地訪問
  1. 2012年2月、東北学院大において開催された中規模生協専務交流会の行事の一環として、宮城県沿岸被災地訪問ツアーが行われた。どうした訳か知れないが、私がツアー・コンダクターを務めることになった。以降、岩沼-閖上-荒浜-仙台新港-七ヶ浜をコースとする1日ツアーの説明役を2015年秋までに12回務めさせて頂いた。東北ブロック主催のツアーが主体であるが、秋田大、弘前大、東北大の各生協がバスを仕立てた独自ツアーもあった。
  2. ツアーコースの終着地は七ヶ浜のボランティアセンターであり、ここは大学生協の学生ボランティア活動の拠点となっていた。当地センター長の星真由美さんの講釈がこの場での肝であった。星さんのお話は、いつも参加者に深い感銘を与えていた。
  3. 福島県原発被災地訪問は2012年秋に開始し、以降、毎年6月に行われた。地元出身の田中康治東北ブロック事務局長の企画に負うところが大きく、田中事務局長の知人である南相馬市在住の方々の有意義なお話を聞くことができた。
  4. 岩手大学生協学生委員の企画による岩手県沿岸被災地訪問が2014年秋に開始され、今秋で3回目となる。東北ブロック学生委員会・震災復興再生タスクの共催の形で企画されているが、単位生協での取り組みは画期的である。
その4:今後の課題
  1. 東日本大震災発生から5年半が過ぎた今、なによりも現状を認識することが重要であろう。2016年9月12日現在の避難者の数(復興庁発表)は、福島県86700人(県内46000人、県外 40700人)、宮城県36400人(県内30700人、県外5700人)、岩手県18970人(県内17600人、県外1370人)となっている。福島県の避難者は未だに9万人近くの多数に止まっている。宮城県、岩手県の仮設住宅居住者はかなり低減しているものの、海岸部の嵩上げ工事などによる復帰困難者も多い。これらの地域ではかなり著しい人口減少減が進行しており、震災前への復興・回復が非常に困難なことが危惧される。
  2. このような状況において、「被災地、被害者を忘れない」、「被災地、被害者と繋がり続ける」ことの意義は、今も、今後も、続くということだ。
  3. 大学生協として、「持続可能な」、「決して無理をしない」、「多くの組合員の支持と支援による」活動を今後どの様に組み立て行くか、ということであろう。
  4. ここは、東北ブロックの職員、学生委員の叡知の絞りどころであろう。
  5. 私は、2015年1月に神戸で開催された阪神・淡路大震災20年メモリアル(大学生協連主催)に参加した。この地では、20年経っても震災経験が語り続けられている。東日本大震災の20年メモリアル(2031年)には、震災時20〜30歳代の生協職員の出番となるのであろうか?この意味でも。東北地区大学生協職員の手記(2013年3月11日発行)を大切に保存し、かつ、広く活用することを期待したい。

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2016 岩手被災地訪問

10月23日(日)学生16名生協職員4名が参加して、岩手県岩泉町と宮古市田老地区を訪問しました。2016年8月の台風10号の被害を受けた岩泉町、震災から5年7か月が経過した被災地田老町。参加者からは、こうして被災地を訪ね、自分の目で見て感じること考えることが大切であり、さらにはその体験を伝えていくことが必要だ、との感想が多く語られていました。

台風10号の被害を受けた「岩泉町」

2016年8月、台風10号が岩手県三陸沿岸地域を中心に甚大な被害をもたらしました。岩手大学生協では宍戸専務と学生委員会が、9月に岩泉町の安家洞(あっかどう)再開に向けた泥や石の運び出しのボランティアに参加、岩泉町の被害を目の当たりにしました。そして、企画中だった岩手被災地訪問に岩泉町を含めることが提案されたのです。バスの中では、岩手大学生協学生委員の方から資料に基づいて当時の様子が説明されました。岩泉町を流れる小本川(おもとがわ)などの河川流域が甚大な被害を受け、2ヶ月が過ぎた現時点でも川の流域の夥しい倒木や、壊された家屋は、東日本大震災での津波被害と同じ様相で残されていました。途中立ち寄った「楽天イーグルス岩泉球場」は2016年10月岩手国体の会場になるはずでしたが、小本川増水で水没し、試合開催が断念された場所でした。瓦礫と土砂が堆積したまま、まだ手つかずの状態で目の前に広がっていました。高齢者グループホームで多くの犠牲者が出るなど、避難勧告や避難指示、防災への対策が大きな課題として残されました。

岩泉町の様子1
岩泉町の様子2
岩泉町の様子3

宮古市田老地区

宮古市田老地区への訪問は、岩手被災地訪問を始めた2014年以来2年ぶり(2015年は陸前高田)となります。企画を担当する岩手大学生協では、2年前の訪問で外観の見学のみを行った「たろう観光ホテル」が震災遺構として保存が決定、ガイドによる館内案内が始められたことを受け、今回の訪問先を田老と決めて企画を進めてきました。日本一の高さを誇り、万里の長城と言われながら震災の津波で崩壊した防潮堤は、さらにかさ上げした高さで復旧の真っ最中でした。「たろう観光ホテル」では外階段を上り5階のホテル内でガイドの説明とDVDを視聴しました。町全体が復興に向けて新しくなっていく様子を知るとともに、何度も津波被害にさらされてきた宮古市の「つなみてんでんこ」という災害教育は、自分で自分の命を守るという防災意識を後世に語り継いでいくという強い意志が伝わってくるものでした。

宮古市田老地区の様子1
宮古市田老地区の様子2
宮古市田老地区の様子3


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2016 みやぎ被災地訪問(宮城県石巻市)

みやぎ被災地訪問の様子1

11月6日(日)宮城、岩手、山形、福島から学生21名職員12名が参加して「みやぎ被災地訪問」が行われました。東北大生協からは学生総代2名も参加しました。今回は初めて石巻地域への訪問となりました。朝9時仙台駅を出発、約1時間で石巻市到着。石巻市観光協会の震災ガイドの案内で被災した沿岸地域を巡り、街を見下ろす「日和山」へ。さらにもっとも津波の被害が大きかった門脇地区へ。被災当時のお話と現在までの復興の様子を伺いました。その後「石巻市復興まちづくり情報交流館」、そして旧北上川沿いにあり、全校108名中74名の児童と教員10名が犠牲になった「大川小学校」を訪ね、犠牲になった児童の保護者の方のガイドでお話を伺いました。帰りのバスの中では感想交流があり、参加した職員からの感想報告も寄せられました。


みやぎ被災地訪問の様子2

日和山からみた風景は穏やかな海が印象的で、でも以前みた街並みはすっかり変わっていました。資料館の方の体験談も興味深く、語り部の方のお話しもこのツアーに参加しないと伺えないものでした。


みやぎ被災地訪問の様子3

石巻市復興まちづくり情報交流館館長リチャードさん。


みやぎ被災地訪問の様子4

今回の被災地訪問に参加し、5年経過した現在でも様々な問題を抱えていることが分かりました。今私たちにできることは何なのか、どのようなことが求められているのか考える機会となりました。被災地の現状を見るだけで終わらず、その現状を伝えていきたいと思いました。


みやぎ被災地訪問の様子5

大川小学校の遺族の方のお話が心に残りました。お話の言葉の一つ一つが重くて、もし自分が遺族側だったらと思うと悔しくて悲しくてたまりませんでした。防災教育の教訓として残し伝えていかなければならないと身をもって学びました。


震災後始めて石巻に行く機会になりました。特に大川小学校には実際に行って現場を見ることによって山に避難していれば確実に児童の命が助かったのにと本当に残念な気持ちになりました。これからも被災地に関心を持って自分に出来ることをしていければと思います。

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未来の大学生応援募金

2016年7月〜11月まで寄せられた募金

2016年11月末日募金総額 1,588,739円

岩手大生協208,911円
バザー古本とアップルケーキ6,886円
みやぎインカレ5,700円
福島大生協1,000円
みやぎ被災地訪問4,500円
「さばの一汐」3月〜8月33,084円

「未来の大学生応援募金」に2013年7月から毎月欠かさず募金を続けて下さっている取引先さんがいます。「プリンストン株式会社」。PCの周辺機器などを製造販売している会社です。大学生協で取り扱った商品の売り上げの中から応援募金への寄付を続けてこられました。これまでの総額は338,081円にのぼっています。

東日本大震災復興再生タスクこの一年の活動

1月25日(月)震災復興再生タスク会議
2月24日(水)「ふたば未来学園高等学校」を訪問。未来の大学生応援募金30万円と電子辞書30台贈呈
3月7日(月)東日本大震災から5年。仙台会館追悼セレモニー開催
5月29日(日)東北事業連合総会で板垣タスク代表から活動報告
6月19日(日)「福島被災地訪問」冨岡/南相馬地区学生9名職員2名
7月11日(月)仙台会館バザー開催66名参加
未来の大学生応援募金へ24,264円募金
9月12日〜14日全国大学生協連主催「福島スタディツア」東北ブロックから4名参加
10月23日(日)「岩手被災地訪問」岩泉町/宮古市田老地区学生16名職員4名
11月1日(火)震災復興再生タスク会議。タスク会議の発展的解散と今後の課題について協議。
11月6日(日)「みやぎ被災地訪問」石巻市
学生21名職員12名
「東北復興再生通信」第7号(3/25)、第8号(8/1)、第9号(12/1)発行
11/25東北事業連合理事会、11/26ブロック運営委員会において「東日本大震災復興再生タスク」の発展的解散についてタスク会議の報告が行われ、今後は東北ブロックと東北事業連合が中心となり、「未来の大学生応援募金」「被災地訪問」「通信の発行」など活動の継続を確認した。

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